26日間の新婚旅行

慶応2年(1866年)旧暦3月のことです。

龍馬とお龍は83日間の薩摩への旅路のうち鹿児島市に57日間、霧島市に26日間滞在しています。昔は男女で旅行を楽しむという習慣がなく、この霧島への旅が日本初の新婚旅行と言われています。

薩長同盟

そのきっかけとなった事件があります。
坂本龍馬は薩摩藩と長州藩の間を取り持ち、同年1月21日に「薩長同盟」が結ばれました。長州藩は1864年の「禁門の変」で薩摩藩と会津藩に敗れた結果、朝敵となっており、その長州藩が宿敵ともいえる薩摩藩と手を結ぶことは、幕府としては見過ごせなかったのです。そこで伏見奉行の林肥後守忠交は、間を取り持ったとされる坂本龍馬を捕らえ「薩長同盟」の内容を明らかにしようとしました。

寺田屋事件

 

薩摩・長州の両藩も、坂本龍馬が狙われる可能性を考え、薩摩藩の定宿であり龍馬とも親交の深いお登勢が女将を務める寺田屋に匿い、腕利きの藩士三吉慎蔵を護衛につけ、龍馬も長州藩の高杉晋作から贈られた護身用の拳銃を肌身離さず持ち歩いていました。 

一方、伏見奉行は、目付である小林甚五郎の捜査で、寺田屋に龍馬が匿われていることを突き止め、捕り方を差し向けたのです。 

騒乱の夜

 

慶応2年(1866年)1月23日深夜、伏見奉行の捕り方およそ30人が寺田屋を包囲、この異変にいち早く気づいたのが当時寺田屋で中居として働いていた龍馬の妻お龍で、入浴中であったにも関わらず、龍馬に危急を知らせるため裸で2階へ駆けあがりました。 

その後、踏み込んできた捕り方に対し、龍馬は「自分は薩摩藩士である」と嘘をつきますが、見破られて戦闘が始まりました。龍馬は拳銃で、三吉慎蔵は手槍で応戦し、捕り方2人を射殺、他数人にも重傷を負わせますが、龍馬も両手に傷を負ってしまします。その間、お龍が裏木戸を隠していた漬物樽を動かして逃げ道を確保し、龍馬たちは寺田屋を脱出、近くの材木屋に潜んだ後、様子を見て薩摩藩邸に向かい匿ってもらいます。 

薩摩への旅路 

翌日、伏見奉行所は薩摩藩邸に対し、坂本龍馬の引き渡しを要求しますが、薩摩藩は要求を拒絶し、龍馬は九死に一生を得たのでした。 

その後、西郷隆盛の誘いを受け、お龍とともに慶応2年3月4日薩摩藩船三邦丸で大阪を出航、6日後に鹿児島の天保山に到着。小松帯刀の別邸に宿をとりました。

日本初の新婚旅行


その後、霧島に向けて出発し隼人の浜之市港に上陸し、日当山温泉に一泊、傷に良いとされる塩浸温泉で10日ほど滞在し、谷川の流れで魚を釣り、拳銃で鳥を撃ったり、犬飼滝の滝つぼの裏を探検したり大変面白く過ごしたようです。そしてその後、牧園の栄之尾温泉に逗留していた小松帯刀を見舞いに訪れた後、高千穂峰へ逆鉾を見ようと龍馬とお龍ははるばる登りました。ひどく歩きにくい険しい道でしたが、「馬の背」を越えついに頂上に立ち「天の逆鉾」を見て二人笑いあったそうです。 

龍馬ハネムーンロードへ 

東奔西走の中、龍馬とお龍の旅は、温泉三昧の新婚旅行でした。激動の幕末を駆け抜けた龍馬にとって、薩摩に逃れ、けがを癒すために湯治をしながら、霧島での旅路は心安らぐ癒しの日々だったに違いありません。
龍馬とお龍の歩いた霧島での旅路が、龍馬ハネムーンロードとして保存され、道標が各所に設置されています。 龍馬ハネムーンロードマップはこちら